Diaries written in May 2019.
May 31, 2019.

仕事はいまいちだったような気がする.睡眠が足りていなかったのだろうか.

会社の Tech Talk で発表を聞いた.みんな技術が好きであることがよく伝わってくるので,刺激になる.普段やらないフロントエンドの話であるとか,あるいはプロダクト管理といった視点からの話をとりあえず耳に入れておくのは無意味ではないだろうと思って聞きに行っている.半分以上わからないこともよくあるけれど,とりあえずそれでいいことにしている.


仕事帰りに会社の先輩にごはんに誘われたのでごはんに行った.
プレイヤーとして振る舞うのとマネジャーとして振る舞うのはやっぱり違うもので,私自身はたぶんしばらくはプレイヤーとしての腕を上げることに集中することになると思う.多分そちらの方がまだ適正があるだろうし.私は人の話が聞けないというのもある(これはマネジャーとしては致命的な欠点だと思う).現場での調整や政治は人間がたくさんいると高い確率で必要なのだが,私は(自らの意思に反してかなり面倒な政治をやる必要に迫られ続けていた時期があり,その手の利害調整に辟易してしまったので)やりたくないというのもある.

総じて,マネジメントはプレイヤーとしてのスキル以上に専門的な技能だと思う.なのでマネジャーは大変だと思う.

人間はそこまで頭がいいわけではなく,むしろよく間違えるし,おろかなことをたくさんやってしまう.それでも人生はやっていかなければいけない.生きるだけでもそれなりに難しいので,がんばらないといけませんねという話.

それと,ねこちゃんは裏切らない.


May 30, 2019.

仕事の方は微妙に不調で,夕方になってようやく調子が出てきたような気がする.
レビューでいろいろ細かいところまで見てくれるので大変ありがたい.

社内勉強会で発表した.原稿を見ずに時間ぴったりで喋り終えた.実際のところここまでうまくいくことは殆どないので,河東先生の基準は非常に厳しいものなのだなと実感した.


Twitter にも書いたことだが,Vakil を読んでいて "Once they are second nature to you," という表現を見かけた.他にも同じようなことを述べている人がいました,という話も教えてもらった.直感というものは獲得していくものである,という視点はそう珍しいものでもないらしい.


May 29, 2019.

雨だったので防水靴を履いていった.小学生は長靴を履いていける雨の日を楽しみにしている,みたいな言い回しを見かけたのはいつの話だっただろう.


仕事の方は,長らくやっていた Terraform が最低限の機能要件を充足するところまでたどり着いた.
そこまではよかったのだが,どうもそれで気が抜けたのか,はたまた昼に食べた蕎麦との相性が悪かったか,微妙に気分が優れなかったので早めに退社し,夕方はずっと家でごろごろしていた.

夜になって多少は体調が回復したので,夕飯を食べ,明日の社内勉強会の準備をした.LaTeX を打つのを諦めて手書きでレジュメを書いた.手書き資料なんて何年ぶりだろう?


May 28, 2019.

仕事で「さすがにこれはわからん」というところを他の人に聞いたら大いに進んで非常に助かった.ありがとうございます.


昼食時に,同じチームの方々と料理の話になった.私自身は料理が嫌いである.理由は幾つかあるが,自身の不器用さも相まってやたらと手間がかかる割に得られる効用が大して高くないこと,およびその不器用さを責められた過去の体験が災いしていることの2点をとりあえず挙げておこう.

そんな私の話は楽しいものではないので,意図して聞き役に回っていたのであるが,色々と面白い話を聞かせてもらった.
いわく,最近の料理器具は自動化が進んでいるのだそうである.切った食材を放り込めば後の工程は自動でやってくれるものがあるのだとか.何ならその切る工程も自動化できると聞いて,それならただのパイプラインじゃないですか,と言ったらそのとおりだと言われた.食事が自動化できるのだとしたらそれはたいへん面白そうだと感じた.
皆さん口を揃えて「楽して美味しいものが食べたい」と言っていたのが非常に印象的で,かつ普段のふるまいと整合的だったので合点がいった.ストンと腑に落ちるという言葉はこういうときに使うのであろう.大変失礼ながら,手間を減らすための仕事であるエンジニアをやっていながら手間のかかる料理をするとは何事なのだろうと思っていたのである.

ということで Amazon で調べて,当該調理器具と推測されるものを幾つかほしいものリストに入れた.気が向いたら買おうと思うが,その前に冷蔵庫を買うのが先なので,やっぱり私が料理をするのはしばらく先な気がする.


May 27, 2019.

仕事が少し進んだ.もっと馬力を上げていきたい.

社内勉強会の発表役を引き受けることにしたので,準備を始めた.練習問題の解答を LaTeX に起こしている.
最近の悩みとして,Mac の英字配列キーボードに慣れているので,HHKB で LaTeX を書くとしょっちゅう typo を起こすことが挙げられる.どうにかならないだろうかと思うが,基本的にこういうのは慣れるしかないので頑張って慣れる.


このサイト,私自身が使っているのにさっぱり整備していないのでどうにかしたい.certbot の導入もしたいし,感想文を投げ込む場所も作りたいし…………
やりたいことは山のようにあるが,それに対する時間と体力が圧倒的に不足している.


May 26, 2019.

お使いを兼ねて歌姫庭園のため蒲田に行った.買いたいものが買えたのでよかった.


あとは微積分のセミナーをした.リーマン積分の演習問題はただただ辛かった.勉強会をできる交友関係があることはやはりありがたい話である.


蒲田は昔暮らしていたことがあるが,友人と喋っている限り,見どころは友人たちのほうがよく知っているようである.魅力的な側面の話をたくさんしてくれるのだが,どこか自分が知らない街の話を聞いているような感覚をおぼえるのも事実である.もっとも,ひとりで歩いていても,目に入る街並みが記憶に留まることは殆どない.だいたいは数学かゲームのことを考えているのがその最たる理由である.

数学とゲームをやるのに必要なのは,紙とペンに本,電気の通る家とゲームハードおよびソフト,それから自分の裁量で使える潤沢な時間である.それ以外のものは要らないので,特に居住地に拘りがない.

多くの人が感動をおぼえたり,或いは関心を向けるような対象に対して無感動だったり無関心だったりするのは,ひとつは生来のものだと思う.あとは,これら好きなものに打ち込める環境が整ったのが実は最近だったから,今まで積もりに積もった欲求不満を解消しているという側面もあろう.

好きなものに時間を注ぎ込めることは決して当たり前ではない,喜ばしいことだと考える.人生何があるかわかったものではないので,好きなものが好きなようにできるうちに楽しんでおきたい,というのは,ここ数ヶ月私の脳裏にしばしば去来する,不思議な質感を伴った気持ちである.


May 25, 2019.

仕方がないのでネットカフェで夜を明かした.ネットカフェで夜を明かすこと自体は慣れているのでいいのだが,それはそれとしてろくに寝れなかった.起きてから会社に取りに行って帰宅したときにはちょうどお昼で,へろへろだった.

午前中〜おひるにかけて会社の方々とバーベキューをする約束をしていたのだけれど,こうなるのがわかっていたので昨夜の時点でキャンセル連絡を入れた.行った場合はバーベキューしながら寝ることになったと思うので,どちらにせよ幸せな未来は待っていなかった.関係者の皆様には大変申し訳ないことをしました…

ということで会社のカードキーと鍵とを纏めてくくりつけられるリール式カードホルダーを買った.これで家の鍵を持たずに会社を出る真似が物理的にできなくなるはずなので,今回のようなことは二度と起こるまい.


昼間寝てばかりだったので,夜の代数幾何のセミナーはなんとかこなせた.随伴とか極限とかに対して多少直感が効くようになってきた気がするが,まだ自分で手を動かした量が少ない気がする.

ところで,少なくとも私自身はこういうふうに「(適当な数学的概念に対する) 直感が効くようになる」ことをそれなりに重んじているし,私の周囲で数学をよく勉強している人を見ていても「慣れてきた」とか「定理の気持ち」とかいうことを言い出す人は多い.
数学は論理的な学問だと言われるし,論理性を徹底している側面があることは認めるが,それでもやっぱり直感は重要だと思う.理解したところは何も見なくてもそらで書けるようになるが,それは論理的思考ができるようになったからという感覚は (私の中には) ない.それらの概念に対するある種の「直感」が養成されたから,というべきであろう.ほんとうに直感を使わずに考えているのなら年に1冊の本が読めるようなスピードで数学の勉強ができるわけはないと思う.もっと遅くなる気がする.

「論理的」という属性タグをつけるのがもっとも相応しい箇所は,かような直感に対して「その直感は本当に正しいか?」という検証作業の方であると感じる.人間の直感は便利だが,しばしばよく間違える.その間違いを是正するための道具立てとして厳密に考えるというのをやっている気がする.

結局のところ,我が身を振り返る限りにおいては,数学に噛み合うように直感のほうを作り変えているのではないだろうか?


May 24, 2019.

仕事終わりに広義同期の方々と寿司を食べた.お金を積むと美味しいものがでてくるというのは重要なことであるということを折に触れて感じる.

同期の一人に連れられてボドゲカフェというものに行って,カタンとモダンアートを遊んだ.普段ボドゲを遊ばないし,あまり勝利することにこだわっていないので,好き勝手な手を指してどういう展開になるかを楽しんでいた.場でのトーク力がかなり物を言うのだということが学べてよかった.


そんなわけでいい一日だった.日付が変わる直前に,よりによって家の前で家の鍵を会社に忘れてきたことに気づくまでは.


May 23, 2019.

テンソル積の右完全性を真面目に証明するのが若干いやなので,圏論っぽく抽象論で殴る方法はないかなあと考えているが,多分真面目に証明したほうが (今の私には) 手早く片がつくとおもわれるのでそうする.


シャッフルランチというものに行った.お相手のかたは社内勉強会などで何度か顔を合わせていたので,話しやすかった.その場その場で求められる技術を必要に応じて勉強していくしかないですよね,そうですね,という話をした.

仕事本体は,もう少しで一区切りというところなのだが,そのもう少しが長い.はじめての Terraform としては良い題材であるような気がするので,この調子で頑張りたい.


今日は少し睡眠時間が短かったので疲れた.早めに寝ようと思う.


May 22, 2019.

防水靴の受け取りのために早く帰宅しようと心に決めていたので,その分早く家を出てみたが,これは失敗だった.いつもよりはるかに電車内に人が多く,辟易する羽目になった.
こんなに毎日みんな頑張って出勤しているんだったら世界平和や不老不死のひとつやふたつくらい実現していそうなものだと思った.実際にはそうなっていないので,現実は厳しい.

会社ではいつもどおりに作業をした.ちょっと疲れてきたところで軽く散歩に出て戻ってきたらある程度復調したので,やっぱり散歩するのは良いみたいである.

私は普段 (必要だと感じたら tmux を起動して) ターミナル上で emacs を使っている.プラグインは調べ回すのが面倒で特に使っていない.その作業環境は硬派ですね,と言われた.言われてみれば他の人はもう少し現代的な画面を開いている.エディタももう少しこだわったほうがいいだろうか?


ところで,ヴァイオレット・エヴァーガーデンの原作は小説2巻だけらしいので,適当に時間を作って読んでみようかと思っている.こうして読みきれない量の本とやりきれない量のゲームが増えていく.


May 21, 2019.

雨だった.靴がぐしょ濡れになって嫌な気分になったので,行きの電車の中で防水靴を手配した.あとは随伴函手の復習をした.やっぱり自分で手を動かさないと何も身にならない.


仕事自体はほのぼのとやっていたような気がする.とはいってもまだまだキャッチアップを頑張らねばならないのであるが.先輩社員さんが丁寧にレビューしてくれるので本当に助かっている.
休憩がてらライムの入ったアイスコーヒーを買ったのだが,口に合わなかった.ちょっと残念だった.


帰り道は NieR:Automata の小説「長イ話」のほうを少し読んだ.「短イ話」は昨日大雑把に読んだ.2B さんがやっぱりかっこいいと思った.


May 20, 2019.

仕事をする生活そのものには慣れてきたような気がするが,生産性を大域的に最適化するにはどのように振る舞えばよいか,まだよくわからない.
ここ数日は,午前中にある程度やる気を出して,昼食のタイミングで一気に集中が切れる,というのを繰り返している.昼食を摂ってからあまりに仕事にならなかったので,おもいきって30分ほど会社の周囲を散歩してみたが,これは良かったと思う.しばらく試行してみた上で,習慣づけるかどうか決めてみよう.


帰宅してから,久々に「リズと青い鳥」を見た.修論執筆の時期には1日1回以上見ていたので,ざっと見積もって数十回以上は見たと思うが,それでも久しぶりに見ると発見がある.何度見ても飽きさせない,色々なところに細やかな仕掛けのなされている映画で,本当に好きだ.

時間がまとまって取れるときに感想文のひとつでも書きたいので,このサイトにそういう機能をつけても良いかもしれない.今週末時間があったら少し取り組んでみるか (その前にサイト全体を HTTPS 化したいのだが…) .


思索をあずけられるような作品たちにであえることは,生きる原動力のひとつになっていると思う.


May 19, 2019.

早起きをした.NieR:Automata の4周目を少しだけ進めた.一通りのシナリオが頭に入った状態で遊ぶと,何気ない一言の見え方が全く異なってやっぱり面白い.こういう工夫がきちんと機能しているのは本当に良い作品の証だと思う.

昼から外に出て,昼食を摂ってから代数幾何のセミナーの予習をしようとしたら,さっぱり進まなかった.何がわかっていなかったかと言えば,加群の局所化がさっぱりわかっていなかったという結論になった.今までサボって整域上の加群ばかり考えていたので,整域でない環上の加群で何をやって良い・悪いのかがわかっていない.少しばかりは理解が進んだので,無よりはとりあえずよしとする.

夕食は自宅で茹でたパスタに出来合いのアラビアータソースをかけて食べたのだが,大味すぎて若干食べるのがつらかった.
大味すぎる,という感覚が私の中に形成されていたことが少し驚きだった.いかんせん味音痴だと思っていたもので (多分今でもかなりの程度でそうだと思うのだが) .


いい週末だった気がする.


May 18, 2019.

日頃の疲れが溜まっていたのか,夕方まで寝て過ごしていた.

昼に少しだけ起きて scala のインタプリタを起動したら,delete キーを押すとカーソルが進むとかいう意味不明な状況を引き当てて難儀した.
調査したところ,scala -Djline.terminal=false で起動することでまともな挙動をするようになったが,このオプションの意味がわからなくてつらいままである.


昼寝から覚めたあとは,近くの映画館で「劇場版 響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~」を見た.
もともと「リズと青い鳥」を見てえらく気に入ったのが理由で,小説版ユーフォは読んだことがあったから,結末は知った状態で見に行ったことになる.

群像劇としての性格が増すことはある程度了解して見に行ったので (私は個々の人間の内面性を時間をかけて丁寧に描くほうが好きである) ,期待通りに良かった.中川夏紀さんと久石奏さんの関係性を映像で観られたのが一番嬉しかった.
奏さんがあんなに丸っこい顔だとは思っていなかったのは驚きだったけど.あと小説を読んだ段階でも思ったこととして,彼女はめちゃくちゃ政治力高すぎて怖いし,それをいなせる黄前久美子さんも大概だと思う.

スマホのビデオモード越しに見ているような演出がちょいちょい入ったのだけれど,あれはどういう意味を込めていたのだろうか.奏さん視点だとあの演出が入るのだろうか?

この映画を見た学生時代の同期が,登場人物たちがみな高校生の割には大人びすぎている,という感想を言っていた.そのとおりだとは思うが,創作の中でくらいああでもいいかなと私は思う.我が身を振り返っても,現実の高校生はもっとお子様なので,第三者視点からでは見るに堪えないものになるのが大抵の場合のオチであろう.


努力したってどうなるわけでもない (場合がある) というのは,それはそうなのだが,やっぱり残酷な話である.
吹奏楽に向き合う彼女たちの苦悩を十全にわかっているとまで主張するつもりはないが,「吹奏楽」を「学問/研究」に置き換えれば私にだって大なり小なり刺さる話だ.
あんまり感情に振り回されたっていいことはそう多くはないのだが,そうは言っても認められたら一定程度は嬉しいし,認められないと一定程度以上は悔しい.奏さんの気持ちも多少はわかるような気がする.

黄前さんはなんで泣かなかったのだろう.


May 17, 2019.

3年後にどうなりたいかはなんとなく考えておいたほうが,思わぬ選択肢が転がり込んできたときにどうすればいいか比較できるからよいと言われた.それはそのとおりであると納得しているし,考えられる人はすごいと思う.

だが,私はこの手の「将来どうなりたいか」という問がどうにも苦手だ.「手元の選択肢で3ヶ月後に何になれるか」なら答えようがあるが,年単位の未来は語ることを躊躇する.アレッサンドロ・リッチの語るように,「5年だって?そんな先の事自分の生き死にだってわからねえ」のである.
自分ではどうしようもない外力で人生を捻じ曲げられる可能性を頭に置いてしまう性格が故だろうか,こなすべき目の前のことだけを頭に置くことで日々を過ごしていると思う.

重要なこととして,私はそういう毎日を幸せに感じているのだということは付言したい.自分の知らないことを,気になったことを,ある程度好きなように学びながら生きているこの日々が.


昔のことはいつもだいたい忘れてしまうし,未来のことはさっぱりわからない.かような経歴の人生を送って来れたのは,何よりも将来のことをほとんど真面目に考えなかった結果である.
いま現在死んでいない理由を挙げるならば,第一に運が良かったからだと答えたい.


May 16, 2019.

ピザとコーラを大量に摂取した.どちらも自発的には買わないよね,という話をした.
ついでに仕事で取り組んでみようかというポイントをひとつ見つけたので,時間を見つけて調査してみよう.


会社の雑談で monogon の話が出た.Wikipedia によると,1点からなる集合は通常は monogon と呼ばれないらしい.
これ自体は納得ができる.1点集合 (もっと言えば離散位相を持つ位相空間) は0次元多様体だし,*gon と名前のつくものは多様体としては1次元であってほしい気がする.

ただ,*gon を頂点と辺からなる図形であって適当な条件を充たすもの,として定義するならば,長さ0の線分は辺ではないと主張する必要がある.ここでどのようにして両者を区別すべきか,という問題に思い当たり,とりあえず解決したので記録しておく.
適当な閉区間を取ってくると,これは明らかに1次元多様体なのだが,同時に可縮でもある.つまり1点集合とホモトピー型は一致する.ということはホモトピー型だけでは多様体の次元は判定できない.私が少し驚いたのは正にこの点である.てっきりホモトピー型くらい見れば次元の判定には充分だろうと高をくくっていた (例の単純さから分かる通り,そんなわけはないのですが) .
多様体の次元が違うことを判別するにはホモトピー型では不充分だとわかった.とはいえ,閉区間と1点とで何かしらは違うはずなのだが,と思って色々調べてみたら,相対ホモロジー H_n(X,∂X) が異なることに気づいた.前者は Z で後者は0だ.
相対ホモロジー,はじめて出くわしたときは何だこいつと思った記憶しかないが,こういう例を見るとたしかに存在意義があるんだと思った次第.
個人的にはこういう気付きは嬉しくもある.もちろん私自身の中でこの例は決して忘れ得ない理解の足跡として残るだろうが,それ以上に,この例を適切な言葉まで噛み砕けば,数学をそこまで勉強していない人にも抽象的な数学の意義を伝えられる可能性があるという意味で大事な例だと感じるからである.


https://twitter.com/piyoketa/status/1127176765355352064
「仲間の言った発言に誰もが笑っている時、一人だけ笑わずに居ることは、加害性を持つだろうか?」
この問が切実さをもって立ち上がる場所に居合わせたことはある.当時は問題の構造がまったくわかっていなかったのだが.
今日このツイートを見て,問題の構造が多少わかったような気がする.直ぐに何かが変わるわけでもないのだが,心にピン留めする価値があると感じたのでそうする.


ところで flowers というゲームをやっていて,マユリさんがかっこいいのはよいんですが,補助動詞をひらがな綴りにしないのにはさすがに違和感を感じる.どうにかならないんですかあれは.


May 15, 2019.

Twitter をしていたら Hahn-Banach という文字列を見かけ,函数解析を勉強してみたくなった.
帰宅してから堀川「複素代数幾何学入門」を眺めていたら,複素幾何を勉強してみたくなった.

こういうときの「勉強してみたい」は,たぶん「美術館に行って美術品を眺めたい」という感覚と類似しているような気がする.
私自身のうちにそんな高尚な感覚が分化しているかどうかは扠措いて,数学がある種のアート性を持つことに異議を唱える人は (少なくとも私の周りには) そう多くはあるまい.


学生時代の友人が,「会社に入ってから一緒に食事を摂った回数が最も多い同僚」の写真を上げていた.
とてもかわいかった.私もあんな子と一緒にご飯を食べたいと思った.
写真はこちら (https://pbs.twimg.com/media/D6lQfZQUwAA2P2N.jpg:large) .


May 14, 2019.

PyPI と書いてチーズショップと読むことを知った.自作キーボードには軸とかいう沼があることも知った.

最近,電車では Vakil (代数幾何) の予習をするか,「アルゴリズムイントロダクション」の予習をするかの2択である.
前者はプライベートでの読書会の準備.後者は会社で「アルゴリズムイントロダクション」を読む勉強会をやっているので,その準備ということになる.
高速フーリエ変換の章を発表すると宣言したので,そこばかり読んでいる.数学が重くてつらいということはないのでそれは良いのだが,やっぱり構成的な議論は苦手だと感じることが多々ある.

ところで,その後の整数論アルゴリズムの章をぱらぱらと眺めていると,どうも群論の一般論を出している.
が,どうせ出てくるのはだいたい有限アーベル群なんだから,有限アーベル群の基本定理を認めて mod 計算だけする立場を取ればいいじゃないかと思った.


そういえば,今日付で NieR:Automata の世界累計販売・ダウンロード数が400万本を突破したらしい.おめでとうございます.
セーブデータを消して4周目をやっているけれど,やっぱりこの作品で描かれているものたちは人間らしくて好きだ.
私は人生の意味みたいなものを問うてくるゲームにだいたい弱いのだが,このゲームにもやられてしまったようである.


May 13, 2019.

とりあえず日記のテスト.サーバの設定で色々ハマってつかれた.


May 12, 2019.

コミティアがあった.行ってもよかったのだけれど,行かなかった.
買うものがないのに即売会に立ち寄れる元気が (少なくともここ数ヶ月は) ない.

この日は一日中サーバの設定と格闘していた.Apache のヴァージョンにハマってひどい目に遭った.

今までこんな長時間プログラミングすることはあまりなかったので,今の自宅の作業環境は非常に粗末なものなのだが,いい機会だし椅子を買おうかと思っている.少なくとも,背もたれのない状態で長時間プログラミングするのは嫌だ.

学生時代はほとんどプログラムを書かなかった.数学はノートに向かって背を丸めることのほうが多いし,
何なら私は寝転がって本を読んだりノートにらくがきをしていることのほうがもっと多いから,背もたれなんていらなかった.
バイトで少しはコードを書いたし,その他にも必要に迫られたときは仕方なく書いたけれど,数学やゲームほど時間を投げ込んだわけでも,また投げ込みたいと思っていたわけでもない.

そんなわけで,こんなふうにして (少なくとも,日記帳を買ってくるとか,Twitter に書き込むとかに比べれば遥かに手間のかかるやり方で) 日記をつけようと思い至るには何かしらの理由があったはずなのだが,案の定けろりと忘れて今日に至っている.

ひとつ注意しておくことがあるとするならば,このような仕方で日記をつけられるようになるための素地が意図せず作られていた,ということであろう.
DNS と AWS の入門書は技術書典で買っていたし (表紙買いしただけで,中身をここまで真面目に読むとは思っていなかった) ,
数年前のバイトでサーバまわりの設定はほんの少しだけ触ったことがあった (まさか自分がバックエンドエンジニアになるなんて数年前は少しも想定していなかった) .

何も考えずに行き当たりばったりをやって,本人の思っていないところでこのようにフラグが回収されることがよくあるような気がする.
そんなときにどのような顔をすればいいか,未だによくわかっていない.


May 11, 2019.

NieR:Automata の設定資料集や攻略本が自宅に届いた.
好きな作品にお金を出せるのはやっぱり嬉しい.


May 5, 2019.

過去にさかのぼって日記をつけることもできる.
色々まずい設定しているところが山ほどあるが,とりあえず動くからいい.

たしかこの日は高校時代の同期と食事をした.7年ぶりに会ったひともいた.
いいものを食べ (られるようになっ) たという意味では年齢を重ねたことは間違いないが,
食事後に寒いからといって全員揃ってコンビニでアイスを買って食べているあたり,変わっていないものもあるらしい.

大抵の場合において,大抵のものは変わっていってしまうものだと思うが,
こういうふうに残るものがあることは,知らず知らずのうちに心の拠り所になっているのかもしれない,と最近になって思うようになった.


| Jun 2019 >


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