Diaries written in July 2020.
SEKIRO をトロコンした.
死ぬときは死ぬ.そうなったらしょうがないので「遅くともいついつまでにあなたは死にます,死出の準備をしなさい」と言ってくれたほうがすべき準備をする決心がつくと思っており,そのときにみっともなく取り乱すような真似はやめたいとおもっている(が,どれほど徹底できるかはわからない).
大抵は日記を書く画面を開いたときに文章がするっと出てくるのだが,今日は何を書こうか少し迷った.
夕飯にペンネを茹でて食べた.おいしかった.
「具体から抽象へと理解を進めるのは知的怠慢である」という言説を見た.
少なくとも数(理工)学に関していえばこれは間違いであると考える.抽象論の背後には必ず具体例が眠っている.わからなくなったら具体的な問題に落として考える.具体例なしで考えたらたいてい足元を掬われる.
珍しく仕事の調子が良かったような気がする.とはいえこういうときに無理するとだいたい翌日に反動が来るので,あまり長く働かずにさっさと引き上げた.
引き上げたあとにふと気になって玄関のポストを開けると,注文した代数幾何の教科書が届いていたのでわくわくしながら目を通した.上野健爾「代数幾何入門」がとみに良さそうな雰囲気がするので,時間を見つけてあちこちつまみ食いをしてみようと思う.
大学院とはどういうところかという話を,してくれと言われたのでした.曲がりなりにもそういう話ができる程度にはきちんと何事かを修めたのかもしれない,と自信を持てるようになってきたのはごく最近の話である.
また,学位論文というものは学位を取るためのものであってそれ以外のものではない,という話をしたのだが,これは私にとってもあまりきちんと理解されていたとはいい難い.現実,私だって修士論文を書くときは「学位を取る」ではなくて「自分にとって一番できの良い論文を書く」ことに焦点を当ててしまっていたのである.結果としてホームランが打ててしまったので,良かったのかもしれない(が,個人的には,この「ホームランが打ててしまったこと」そのものが,拭い切れぬ曇りとなって今でも心の中を占めていると言わざるを得ない.皮肉なことである).
なぜ博士課程に進学しようと思わなかったのかと問われ,表面上は幾つかの事柄を返答として述べたのだが,個人的には「これだ」というすぱっとした理由はない.結局色々な事情を勘案すると,博士課程に進学したら結構な確率で人生の難易度が上がってしまうように思われたからなのだが,「いろいろな事情」というのがあまりにごみごみしているように感じられた.
結局どこかで研究にうちこみきれなかった私の心は,ある面で亡霊のような振る舞いをするようになったように思われる.他人を祟り殺したりはしないのは良いのだが,やはり捨てきれない思いがどこかにある.なまじ人生で他にやりたいこともないだけに,その思いから逃げ出すわけにもいかなそうである.
畢竟,生きるのが下手だと言われても致し方あるまい.
そんな事柄に向き合わせてくれた機会だった.かくも長たらしい文章を書いておきながらそうは見えないかもしれないが,こういう機会を得られたこと,個人的には非常に嬉しく思っている.そして願わくば,私より少し年の離れた,でもそこまで離れていない若い人たちが,私の姿から(反面教師としてでも)何か得るものがあってほしい.やや大袈裟な言い方だが,(後付とはいえ)私が今まで生きてきた理由のひとつになり得るのだから.