この曲を作曲した和田たけあきさんのインタヴュー:https://natalie.mu/music/pp/magicalmirai2019
音楽ゲーム「オンゲキ」で遊んで,なんとなく耳に残ったので,試しに YouTube でフル版を聞いてみようかなと思って聞いていたところ,なんだか意味深な動画説明文が目に留まりました.
そのような意味深な説明文の由来を知りたいなと思って,ググって出てきたインタヴューを読んだところ,久々にズシンと来るものを感じました.そのインタヴューには,
なんて書かれていたのです.ミクに何かしらの仕方で絶望したはずの人が,ミクのイベントとしては最大級の「マジカルミライ」に公式テーマ曲を提供するという,一見すると不協和音でしかない振る舞いに,俄然私の興味は惹きつけられました.
インタヴューの内容は,その矛盾を解きほぐすに充分な内容でした.和田さんは,ボカロ曲を「アーティストであるPの曲」でもあると思っていること.なのに,Pの存在は隠蔽されて,初音ミクがさも「自分の曲」であるかのように歌っている現実.
お前の曲じゃねーだろ!
という叫びが出てしまう心境を,完全にトレースできることは私には出来ませんが,それを絶望と形容したくなる気持ちに,幾許かの共感を覚えたのも確かです.
私個人は,初音ミクをはじめとするボカロ文化の「作り手」ではありませんでしたし,これからもきっとそうであり続けるでしょう.ですが,その文化の変遷の刹那を見ていたことのある一個人として,「アーティストとなっ(てしまっ)た初音ミクへの別れと祝福の歌」を,かくも明るく作り上げる魂胆に畏敬の念を覚えました.
数年前,あるところに次のような文章を寄稿したことがあります.
「ミクパ」に代表されるようなライブパーティーが,近年開催されるようになってきた.著名・人気のあるボカロ曲をラインナップに掲げ,その曲とともにミクなどボカロキャラクタの3D映像を舞台上に投影する.これは,考えてみるとある意味奇妙とも言えることではないだろうか.確かに3D映像が舞台上に投影されているとはいえ,よくよく考えるとその舞台上には「誰もいない」のである.誰もいない舞台に向けて,ライブ会場の参加者はサイリウムを振っているわけである.非常に滑稽ともとれてしまう状況だが,これは技術に人格が与えられた,技術が人格を得たからに他ならないであろう.
確かに,「技術が人格を得た」ことは確かです.ですが私は,ボカロが得たこの人格に対して,このような感情の渦巻きが起こり得ることまでは予想していませんでした.
こんなことに一々ここまでの文章を書くなんて,きっと滑稽かもしれません.でも,ボカロPが初音ミクに対して,戸惑い嫉妬し,しかし対等に扱い,他人と見做しつつ独り立ちを祝福するようになるその過程は,こどもがおとなになって独り立ちしていってるときに見えるものと,よく似たものが見えた.見えてしまったこれを,心のうちに秘め続けられる気はしなかったのです.