Diaries written in June 2019.
同じ職場の方の家に遊びに行って,
・リズと青い鳥を観た.
・ボードゲームを遊んだ.
・VRC を体験した.
もともとリズと青い鳥を観ようという話が持ち上がっていて,めでたく今日見ることになったわけだが,観る面子が違うと,現れる感想のみならず,自分自身の中での作品の受け取り方も大きく変わっていたことが印象的であった.傘木希美が話を聞かないやつであることははっきりわかっていた話なのだが,鎧塚みぞれからの想いをどれほどスルーし続けてきたのか,みぞれからしてみれば本当に辛かったであろうという視点が獲得されたのは今回の収穫である.
とはいえ,エピローグでのやり取りにおいて,希美がみぞれを見上げる形で「みぞれのソロ,完璧に支えるから」と宣言し,それに対して「私も,オーボエ続ける」と返せるようになったのだから,ふたりはある程度までは互いの関係性を正しく見極められるようになったのではないか,とやはり個人的には願わずにいられない.
ボードゲームは「タイムライン」と「コヨーテ」というものを遊んだ.
前者は教養とそれに基づいて推理する楽しさがあり,かつその推理が裏切られた時の意外さが印象に残った.後者は自分の情報だけが開示されていない状況から,周りの反応を見て自分の状況を推測するのが楽しかった.特に後者については,自分自身が勝つという戦略だけでいえばとりあえずポーカーフェイスを決め込むという選択肢もあると思うのだが,参加している方々がみな自分の反応を思い思いに口に出しているのが面白かった.勝つという視点からは最適ではないが,これはこれでよいとおもう.
VRC ははじめてだった.「VR 世界から帰ってこられなくなる」という発言が冗談めかして飛び交うことがあるみたいだが,別に冗談でも何でもなく,あれは帰ってこられなくなってもおかしくないと思う.これまでのものとは別種の体験を得られた,ような気がする.とりあえず布教は受けたし,多分資金的にも投資可能であるので,投資をするのは悪くないと思う.
ただ,不安点がないわけではない.私自身は別にそこまで積極的に他人と話すことを好むわけではない(他の人からしてみれば,「ここまで他人との交流に消極的な精神構造もまあ珍しい」と評され得ると認識している)状態で, Chat にどれほどの価値を私が見いだせるであろうか?
一日中ゲームで遊んで,ちょっとだけ Haskell の勉強をしたら一日が終わった.かなりぶっ続けで遊んでいたので,それなりに疲れた.
このような一日の過ごし方をするのは,このように過ごしたくても過ごせなかった過去の自分を供養する意味がある.他の誰がどのように思ったとしても,暫くは自分自身の時間をこのように使うことに拘り続けるつもりである.
ScalaMatsuri に行っている同じ職場の方が聞いていた話がずいぶん楽しそうだった.いい加減関数型に手を出してみる頃合いだと思う.
頭が痛かったので早く帰った.
初仕事がリリースされた.嬉しかった.
そういえば,ランチの時に私が文系出身であるという情報が開示された.最近は信じてもらえないので自分からは言わないのだが,第三者から開示される分には信憑性がまだ高いらしい.
Twitter 上で正義の名のもとに他人を焼いて,3日も経てば忘れて次を焼きに行くさまを見ると,なんだか忙しそうだなと思う.
仕事はリリース・レディまで漕ぎ着けた.当初の予定と比べて,kubernetes への着手は遅れてしまったのだが,プロジェクト管理の練習として適切な難易度のものに取り組ませてもらったような気がする.
「新海誠の『ほしのこえ』ですよ」,と片方が主張して,もう片方が「何いってるかわからない」と返す,というのを繰り返す現場に遭遇した.段々とコミュニケーションが取れなくなっていくように見えるさまがまさに「ほしのこえ」そのものだった.
新海誠の作品は人を選ぶと思う.私は別に好きでも嫌いでもないので,ある程度相手に合わせて話を聞くことが多い,気がする.多分.
さすがに3日も日記をつけ忘れていると,何を考えていたかはだいたい全部忘れる.
日記をつけていなかったのは,帰宅してから閃の軌跡3ばかりやっていたからです.
一日中ゲームで遊んでいた.
軌跡シリーズに出会ったのは中学生のときだったか,高校生のときだったか,今となってはよく覚えていないが,
空の軌跡 FC の体験版を PSP で遊んで,「これは絶対に良いゲームだ」と確信を持ったことを今でもよく覚えている.
高校生時代の長期休暇の殆どをこれに溶かしたことも覚えている.
気になって過去のメールの記録を探ったら,2010年7月頃には 3rd をクリアしていたようである.
私が高校1年生ころのときか.
そんなわけで,FC,SC,3rd,零,碧とクリアしてきたのだが,閃に入ってからなかなかプレイできずにいた.一つの原因としては,ハードを買う金がなかったことによる.
会社づとめを開始して,資金面での不安は払拭されていたので,他のゲームをいろいろ遊んでいたのだが,閃の軌跡は知らぬ間にナンバリングが4まで進んでいて,なかなか手を出す気が起こらずにいた.
しかし,友人たちいわくは(すなわち,これを証言した人間は複数存在する),閃の軌跡は3からやればよいという.3と4だけなら,まあ夏の間になんとかクリアまで漕ぎ着けることはできよう.ということで手を出してみた.
奇を衒うことのない,真っ直ぐな構成は全然変わっていなかった.話のスケールは大きくなっていたけれど.
暫くは何に時間を割くか悩ましい日々が続きそうである.
本をたくさん買った.
久しぶりに会った人が,熱心に数学の勉強をしていた.
実年齢としては私より6歳ほど下になる,付き合いの長い人だが,ここ最近は年齢差を感じることは少なくなった.
これからが楽しみである.
アルティナさんの言うように,自分の意志でものごとを決めるのはそれなりに難題なのである.
仕事のスケジュール管理は難しいと感じた.
次の仕事はプロジェクト・マネジメントをきちんとできるようにしたい.
https://twitter.com/fushiroyama/status/1141643707734560768
ここ1,2ヶ月で薄ぼんやりと得た結論が明確に言語化されていると感じる.
エンジニアリングは価値を生み出すための手段であって,それ自身が目的ではない.
学生時代に感じていたプログラミングへの(過去の経験に基づく明示的な,或いは数学と対照したときに implicit に感じる)忌避感を,現在感じていない理由があるとすればこのあたりだろう.
とすれば目標は抽象的には自ずと定まってくる.手段としての技術の引き出しと,手段の適用対象としての「価値」をセットで磨き,見出し続けることである.
今日は眠らずに済みそうである.
昨日と一昨日について,記憶できていることはほとんどない.うっすらとした頭の痛さだけが印象深く残っている.
仕事の方は先輩社員さんに泥くさい作業を助けてもらってまあまあ進んだ.
この調子で頑張りたい.
最近,電車の中で目が文字の上を滑ってばかりだったのだが,そろそろまともに文字を読めるようになるかもしれない.
翌日にかけて12時間ほど泥のように眠った.
翌日にかけて8時間ほど泥のように眠った.
勉強らしい勉強は特にしなかった.
昼にインドカレー屋に入ったのだが,その時にテレビがついていたので,見ていた.
ワイドショーで国立感染症研究所村山庁舎の話が出ていた.BSL4 施設を有するが,地元住民の反対に依って稼働していないらしい.一方,東京オリンピックで懸念されるバイオテロの対策のため,村山庁舎にエボラウィルスを運んで研究しようという動きがあるのだそうだ.
それらそのものについて特に思うことはない(私自身はどちらの立場に賛成も反対もしない.立場を固めるに充分な情報を私は有さないし,また直接の利害関係者でもないからである)のだが,テレビを見ていると「村山庁舎にバイオテロの危険がある」みたいな主張が堂々と出ていた.
そういう話にだけはならないだろうと思うのだが.
まあでも,人間の頭の処理能力はそこまで高くないし,普段から特殊な訓練をしているのでもない限り,事実と論理に基づく推論をするのは大変だと思うから,この手の主張も受け容れられる余地があるのだろう.
人間ならばみなきちんと「論理的に考える」(この言葉の厳密な定義について,私は答えを持たないことは付言しておく.裏返した,しかし相変わらず厳密でない言い方をすれば,「どう考えてもそれはおかしいだろうという考えをしない」)だろうというのは,過去の私が囚われていた/依って立つことのできていた信仰である.
数学カフェに行って数理生物学の話を聞いた.感想は Twitter で述べたとおり.現象をきちんと見て妥当な数理モデルを立てるという,非常にシンプルかつ良い研究のお手本というべきものを見せてもらえた.
もうひとつ,非常に個人的な心情に由来する感想がある.私の中で物理由来の記法に関する抵抗感がある程度抜けていたことに対する驚きである.
学部生のときは,物理に近い立場の人が「いいかげんな」数学を使っていることに対して逐一頭に来ていたものであった.通るべき不安定であったとも思うが,一方視野が狭かったことは事実である.
歳を取って角が取れたか,はたまた自分がそこまで厳密性を徹底できていないことに気づいたか,何が原因なのかはわからないが,ともかくそういうことがあったので記録する次第.
いろいろやった.テックトークでてきとうな話をしたら,形式手法について託されたのでちゃんと調べようと思った.
最近,会社にいるときのほうがかえって精神が安定しているような気がする.
帰宅してから身体が動かず,30分ほど天井を眺めて過ごした.
喉はだいぶ良くなったと思う.それでも3時とか4時頃にはへろへろになったけれど.
会社のテックブログをだいたい書いた.できた.
社内勉強会の発表担当さんがおやすみだったので急遽準備した.ひとつひとつの文章を丁寧に訳すというよりは,要点だけをかいつまんで説明する形にした.SLO とか SLI とかについての理解が多少深まった.いわく,サービス要件レベルに関して何か喋る際の共通言語としての役割と,「このサービスを運用する上で何をやる・やらない」を明確化するラインマーカーの役割を果たすことがわかった.
SLO の具体的な例が思い浮かばないのでピンとは来てないのですが,と言ったら,前の章を読むと書いてある,と言われたので,近い内に時間をとって読んでみようと思う.
帰宅してからは,金曜日の会社のテックトークのネタの仕込みをした.とは言っても内容を(中身がかなり違う)2択で迷っていて,はてどっちにしようかという結構危機的な状況なのですが.
喉の痛みは出ていたが,36.4℃だったので出勤することにした.
が,行きの電車の中で2駅寝過ごした.
仕事自体は多少ちゃんとすすめた,ような気がする.…毎日同じことを述べているような気がしてきた.
そうは言いつつも,体力自体は低下していたので,飲み会の予定をキャンセルして早上がりした.
https://note.mu/wakari_te/n/nf1e99c1f72ce
「自分の生きづらさを吐露する当事者に、他者に対する完璧な配慮、誰も傷つけない表現を求めることは、それはまた違う種類の抑圧ではないか」
https://ten-navi.com/dybe/4580/
「誰かが悪意をもって悪事をしているのなら、これほど単純なことはない。問題なのは、「正しさ」が暴走する状況なのだ」
少なくともいま現在の私自身の中にある,第三者が簡単に閲覧・反応できる場所で言葉を紡ぐことへの抵抗感は,このあたりに集約されるように思われる.
自らを正しいと信じる人間ほどやっかいなものはない.私自身,生きている中で最も他人を傷つけたのは恐らく自らの正しさを信じた時であったし,自らの信ずる正しさに依って立っている人間を説得できた試しは(ほぼ)ない.
私の身の回り(というか,特に Twitter でのタイムライン)で垣間見える「正しさ」が解除された空間として,私はここを機能させたいのかもしれない.
「神は応えないもの」であるから,自らの中に信仰を見出すしかない.そのような考えのもとで普段は生きている.
しかし,仮に信仰を見いだせたとしても,その信仰の正統性を常に問い続けられる程度の理性は保ち続けたいと思っている.
これを理性と呼ぶのが相応しいかどうかは,今の私にはわからないが.
また一方で,私自身が他人の言葉に相対するときに,それが「正しいかどうか」だけで向き合うのは最善と限らない.これは重要な視点だと思われる.
その人にとっての体験を,体験そのものとして受け止めること.私がもっとも苦手とするおこないのひとつかもしれない.それっぽい「正しさ」をひとつ固定して,それに基づいてジャッジしてしまうのが圧倒的に楽なのである.
ところで,ふるさと納税について軽く調べていたら,御礼の品のラインナップに PS4 のソフトがあったのでびっくりした.
朝:37.6℃
昼:36.9℃
夜:36.9℃
断続的に喉の痛みが出る.
風邪の治りが悪くなったあたりに,不可逆な時間の経過を感じる.
なんだか難しいことを書いてしまって,ぱっと見鬱屈としているし,半分くらいはそうなのだけれど,他人に期待している暇があったら自分のことは自分でやるという結論である.
色々心に引っ掛けてしまったものはたくさんあるが,自分の好きなように生きる,楽しい日々を送っている.
会社の方々は能力が高い上に褒め方も上手いし(褒める能力を身につけるのは今後の課題である),余暇では数学とゲームを好きにやっている.
そういう何気ない日々を不満なく,というよりは結構満足して,送れている.特記に値する重要なことだと思う.こういったことが書きたくて日記をつけているのだから.
ドラクエをやり,代数幾何のセミナーの予習をして,セミナーに出た.
その間に,台所周りの家具用品を幾つか買った.ちょうどよいサイズのブラシを買えずにいたが,ようやく買うことができた.
Twitter を見ていると,自分がされた理不尽なこと,嫌なことについての怒りを表明している人がたくさんいる.
個々の事例については言及しない.それは怒るのも最もだと思うものもあるし,それはあなたが関わらなければいいだけだろうと思うものもある.
ただ,それぞれの事例を見て,そして自らの振る舞いを内省して思うのは,私自身はそういう怒りを表明すること,その怒りに何かしらの姿勢を取ること,或いはもっと一般化して,他者と何かをすり合わせて生きることに只々疲れてしまったらしい,ということである.
昔の私なら,共感に基づく怒りを覚えることもなかったわけではないと思う.或いは,昔私自身がつらい目にあったときに,明確に怒りを表明したこともあった.
他方ここ最近は,他の人の境遇に対して話を聞いて共感したりするような,精神的なスキマはないと感じる.換言すれば,他人の気持ちがほとんどわからない.ある程度以上にわかろうとするとそれなり以上の精神的負荷がかかると言ってもいい.その代わり,私の気持ちが汲まれる理由もないので,汲まれなくても文句をつけてはならないと考えるようにしている.そうなってしまった理由として,思いつくものはいくつかあるが,ここに書くことではない.
そんなわけで,ここ最近の私は私自身のことだけをやることにしている.他人の人生や内面には大きく干渉しないように気をつけている.その代わり,私が人生で大きく困った場合に,他人の本質的な救助が存在することも期待しないし,ここで書くようなことがらを日頃積極的に口にだすこともしない.
寂しい生き方だと評されるかもしれないが,他人に期待する正当性を見いだせない以上,それがないものとして行動すべきであろう,というのが当座の考えである.他人の気持ちを汲めないところに他人からの助けを期待するなんてどういうつもりだと言われればそこまで,というのもある.なかなか徹底するのは難しい姿勢だが,何一つ依って立つ規範がないまま生きるのも大変なので,とりあえずこうしている.
この姿勢は一人で生きる分には他人に迷惑をかけないし,一人ゆえの気楽さを最大限享受できるので,割と好き好んでこのように生きている側面もある.もちろん,自分で自分の面倒を全て見られることを前提として要求するので,長い目で見たときにどうか,というのはある.私の精神構造と併せると,他者との共同生活には致命的に向かない,というのもある.
その意味で,決して「正しい」生き方であるとも思わないが,正しくなくても生きることくらい自由にやらせてほしい.あと10歳くらい若ければ,正しく生きるかさもなくば死ぬか,みたいなことをまだ真剣に考えられただろうが,そこまでの熱量はもうないのである.
風邪を引いたような気がするので,明日はよく寝ようと思う.
紫陽花が咲いていた.
仕事がそれなりに進んだ気がする.Terraform だの Datadog だの,入社時には知識ゼロ状態だったので,やっていけるか大変に不安だったのだが,今の所なんとかなっている.今は Kubernetes で色々共通化してみようか,という話がでている.頑張りたい.
仕事の後には情報幾何学の勉強会に行った.会社づとめの身でも数学を続けているひとが結構たくさんいることがわかった.
胃もたれをするようになった,つらい,という話を会社の方としていたら,同じチームの別の方が,自分は胃もたれをしたことがないので胃もたれとは何なのかよくわからない,と言った.
そこで,なってみればこれが胃もたれだとわかる,と返事をした.
そうすると,個々人で「胃もたれ」と認識しているものは実は違う,ということが起こり得るのではないか?と返された.たしかにそれはそうである.こんなところで,逆転クオリア的考察がでてくるとは思わなかった.
そうしたら午前2時にばっちりと目が醒めた.
寝直すにも寝直せなかったので,仕方なくちょっとだけドラクエをすすめて,明け方から二度寝した.勉強しても良かったんだけれど,最近はドラクエがやりたいからそうする.
仕事のほうは相変わらずいまいちというかなんというか.胃の調子が悪かったので昼食はパスタサラダだけにした.
いちおう進捗は出した.社内でまだ取り組まれていないことについて,簡単に調査をして,使えそうなライブラリを動かしてみた.なんだかわけのわからないエラーで難儀したが,とりあえず使えそうなアウトプットがでたのでよしとする.
同じく新卒ではいった同期さんが,インターン生のめんどうを結構ちゃんと見ていた.
私は自分のことばかり意識が向いてしまうタイプなので,ちゃんと他人のことを見られるのはいいなと思う.
昼前くらいまではどうということはなかったのに,昼食を摂ったあたりからうっすらと気分の悪い状態が続いた.
とかいいながら仕事の方は一区切りがついたりしているので,やっぱり自分の体調と仕事の調子は全然一致しない.うーん.
そんなわけで早く帰って,20時半には寝た.
仕事は好調だった,ような気がする.調子のよいわるいは自分ではよくわからないのだけれど.
家に帰ってからはドラクエ3を遊んでいた.小学生時代に延々とやっていたのだが,突発的にやりたくなった.たまにこういうことがある.
昨日の夜遅くまで感想文置き場を作っていて,気づいたら午前3時をまわっていたので,朝寝坊した.
起きてからはだいたい NieR:Automata をやっていた.ついでに感想文置き場に CSS を配置したり,中身を Markdown で書けるようにしたりといろいろやった.
フロントエンド開発,個人的には苦手意識があり,今後のキャリアとしてもできることならあまりやらないで済ませたいが,締切に追われずに趣味としてやるぶんには悪くないと思った.
本格的にやろうとすると HTML と CSS とでデザインの知識が必要になってくると思う.私のサイトはあまり多くの人に見てもらうことを想定していない.特に,長い文章をそれそのものとして読まない人に楽しめるコンテンツはあまり置かない(置けない)つもりなので,デザインに力を入れて目を引こうとする予定も今のところはない.
ただ,人間の感覚をリバースエンジニアリングするのは面白そうなので,その観点から勉強するのはわるくないかもしれない.
ところで昼間に散歩してショッピングモールに行った.子供向けのおもちゃ売り場にふらっと立ち寄ってみたら,レゴブロックのおもちゃが売っていた.
私も昔はレゴを遊んだものだが,書いてある説明書通りにしか作れず,自分でオリジナルなものをつくろうとすると途端に極めて単純なものばかり出来上がっていたのを思い出した.
当時の私がそのことをどのように思っていたか,今となっては定かではない.ただ,自分自身に創造性がないことを残念に思っていたとしたら,そのように思う必要はないと声をかけてやりたい.
結局の所,オリジナルだとかクリエイティブだとか言われるものは,たいてい,先人の模倣からはじまると言って良いのではないか.既にいろいろな人が膨大な時間をかけて色々なものを作ってきたのだから,まずはそれをきちんと真似するのがいい.そういう過去の蓄積を無視した安易なオリジナリティは,少なくとも私の場合,極めて薄っぺらくなってしまいがちだ.
そんな,一見真似事にしか見えないことを繰り返しているうちに,何かが自然とできることがある.自分自身にとってはほとんど真似事と同じようにしてできるそれが,たまに「オリジナリティ」の名のもとに褒められることがある.
私にとってはいつもそうだった.多分これからもそうだろう.
昼間は NieR:Automata を遊ぶか寝るかしかしてなかった.特にちゃんと昼寝をした.多分疲れていたんだと思う.
夜になってから,このサイトに感想文を投げ込む場所を作ろうと思い立った.できた.ぼちぼち Django にも慣れてきたところがある.相変わらずフロントエンドはまったくもってやる気がないのですが.